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昭和37年
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禊教宗家の嫡男として生れる
学習院初等科・中等科・高等科を経て学習院大学文学部哲学科卒業
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昭和42年
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宗家嫡男として5歳より神道奥義修行に入る
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昭和50年
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13歳で禊教管長職継代を拝命し、神職正服を授かる
以後禊教本院大祭にて副齋主を勤める
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昭和58年
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昭和の法難の中、全国信者より請われて浄化委員会会長となり、全国を行脚する
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昭和62年 2月
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真の神道禊教の再興を志し、禊教真派を設立する
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昭和63年10月
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神道禊教宗家七代として道統継承宣言をし教主となる
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平成12年
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教団名称を明治27年の一教独立当時の神道禊教と改称、『新時代布教宣言』をし、伝統に根ざした霊性主導の新時代へ向けての活動を開始する
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平成13年 7月
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教団代表役員も兼務し現在に至る
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令和 2年
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立教180年を機に、本教の立教の本願である心安(浦安)き世の実現の為に、一眼は遠く歴史の彼方を、一眼は脚下の実践を、『寿々風』を世に弘める活動を提唱
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ご教祖井上正鐵様が現教主のご先祖である開祖坂田鐵安翁に送られたお手紙
『四命と申事、第一神の命、次に君の命、次に師の命、次に親の命に御座候、法の事は神の命にて御座候、止事なく捨る時は、此四ツのもののうち何れをか捨ん、師、親、君の三つを捨ん、神の命は捨べからず、神の命を捨ざれば、師、親、君の命を捨ざる也、是唯一成事を知る、云々・・・』
を信条として数々の法難を乗り越えて、
孝ならんとして義ならず、義ならんとして孝ならず、その苦しみと悲しみの中で宗教者の天命に生き、
ご教祖様の父君安藤真鐵翁がご教祖様へ託し、開祖坂田鐵安翁へと受け継がれた、
『神道の御教、尊むべし用ゆべし、磐榮への法なりとて傳、若此心ざしを失ひなば、吾子孫にあらず、たとへ錦を着て、高位高官に昇るとも、不幸の罪廣大なり、又是を学ぶ人に傳へて、国家を易んぜば身は道路に死すとも吾子孫なり』
を己が信条とし、門中(信者)に限りない愛情を向けるその姿に、門中から慕しみと尊敬の念を込めて『今正鐵様』と呼ばれている。
教主は神祇官白川伯王家祭祀を継承する真の禊教の再興のみならず、大和の国風大和民族の霊性の復権、古式祭祀の復興、日本神話の伝承等、精力的に活動している。
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【主な著作・論文】 |
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読み解き古事記・文庫版(産経NF文庫)
教主講話集「寿々風」(神道禊教本部刊)
神道みちうた集(TEM出版)
読み解き古事記(産経新聞出版刊)(日本図書館協会選定図書)
おみちづけ教本(禊教真派本部刊)
みそぎの教え(禊教真派本部刊)
禊教神葬祭の栞(禊教真派本部刊)
現代祝詞講(禊教真派本部刊)
神道家井上正鐵翁の研究
その他論文著作多数
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【教主メッセージ】 |
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■ 『 我一飯を捧げて人の飢えを救うの心を発揮し、活かし合いの世の実現を 』
皇紀二千六百八十五年、令和七年乙巳の年を迎え、謹んで新春の祝詞を申し上げます。
御皇室の益々のご安泰とご繁栄、我国の安寧弥栄を御祈念申し上げます。
更には、世界各地の戦乱が止み、全ての人々が心安らかに暮らせる恒久平和が実現することを、
誠心の一筋に御祈念申し上げます。
巳年は「力を蓄えていたものが芽を出す起点、再生と誕生、実を結ぶ」年と言われます。
蛇からは、蛇行の如き物事の停滞する印象が連想されますが、蛇は前進しかできないことを考えますと、
悪戦苦闘しつつも脱皮し良き芽の誕生を期して理想と信念を貫く精神と実践が大切です。
神仏により、この世に生を享け活かされている私たちです。
世界は元来活かす力に満ちています。
神仏の加護により生きる力を得ている私たちには、活かす力を発揮し、精神性に優れた共存共生共栄の世界を作り、
次代へ繋いでいく使命があります。
神仏の御心の儘の「活かし合いの世」となるよう、生きる力を寄せ合い活かし合うからこその生活です。
その実現が叶っていないことを、我ら宗教者は大いに反省しなければなりません。
古き因習を脱ぎ捨て、真の祈りを世に顕して行かねばなりません。
その時は来ています。
我ら宗教者そして信仰者の「活かし合い」の祈りを共感し合い共鳴させて
「寅卯で始め巳で実る」と言われる「活かし合いの世」を実らせたいと私は切に願っています。
我が神道禊教教祖井上正鐵は江戸天保年間に「我一飯を捧げて人の飢えを救うの心」を世に説きました。
その精神は今、宗旨宗派の垣根を越えて世界に一食献上運動の実を結んでいます。
この一食献上の精神こそが「活かし合いの世」顕現の基ではないでしょうか。
その心を共鳴させ合い、実りを共感しあう世の実現を祈念致します。
(皇紀2685年 令和7年 乙巳)
神道禊教 教主管長 坂田安弘
これまでの教主メッセージ
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【お写真】 |
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昭和50年4月12日 井上神社大祭にて
宗家七代目を継ぐ道統継承者として
管長職継台正服を着装して副斎主を務め、
全国門中へ披露目を行った12歳の時のお姿 (右の写真)
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裏千家今日庵にて
宗家の学びとして茶道も習う学習院高等科在学中の頃のお姿
その他、宗家の教養として学習院中等科在学中から
宮内庁楽師の芝祐靖(しばすけやす)氏
日本雅楽会創設者の押田良久(おしだよしひさ)氏
に師事し、雅楽も深く学ばれた。 |
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三宅島聖苑教会にて
巡教されたときの大学一年の頃のお姿
(昭和の法難解決のための
浄化委員会設立前、全国門中代表者会議の頃
問題解決の祈願のため巡教された。
向かって左が笹本亀次分院長) |
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成人式をお迎えになられたご教主様のお姿 |
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ドイツ・フュッセンにて琵琶を演奏されるご教主様
フュッセン雅楽公演・神道懇話会
平成7(1995)年10月8、9日
[ドイツの新聞に掲載された写真]
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大祭にて龍笛を奏でられるご教主様 |
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祭典にて笙を奏でられるご教主様 |
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