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■ 神道禊教の教理教学は内清浄の禊 ■ |
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神道禊教の教理の中心は運命の甦りにあります。
努力に反して「どうしてだ!」「なぜだ!」というような思うにまかせない運命を、
栄えの運勢に甦らせる法が禊教えです。
その方法は「息一筋の道」として説かれています。
禊といっても、水を浴びる禊ではありません。
水を浴びる禊が外清浄の禊なら、息一筋の禊は内清浄の禊といえます。
この内清浄の禊の法は、白川伯王家から伝えられたもので、それによって自在の心を得て、
宇宙と等身大の自分に生まれ変われます。
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運命の甦り |
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「みそぎ」とは、自分の運命を洗って甦ることであり、一口に言えば「運命の甦り」ということです。
自分の「今」は自分の過去、親、先祖の生活から続いた「今」です。
この今までの全てを「運命」と呼びます。
この先祖から続いた長い長い「運命」に罪(垢)がついて悪い運勢が芽生えてしまいます。
自分の過去の「罪」は自分が心を啓きさえすれば、自分で気付いて洗うことができますが、
「運命」は自分が見たことも聞いたことも無い先祖から受け継いでいるので、その罪をそのままにして
おくところから、禍を生じ悪い運勢に落ち込んでしまうのです。
それを栄えの運勢に甦らせる唯一の法が禊の法なのです。
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息一筋の道 |
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「息」は身体の根源、法命の根(命のもと)と、ご教祖様は諭されています。
神道禊教では大きな声で祝詞を唱えて禊をします。
それを「祓い行」と云います。
息によって身体と精神が合一し健全な身体となっているのですが、これが離れてしまうと精神と身体が
治まらず、禍を生んでしまうのです。
「息即ち生命」といわれますが、息を吐いて生命は誕生し、一生息をして暮らします。
息を吐くことによって生命は生れ、甦っていくのです。
自らの生命の垢を洗い本来の働きに戻るという内清浄は、
唯一自らの外と内とを繋いでいる「息」によるほかは無いというのが「息一筋による禊」です。
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学びの道 鏡の教え
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ご教祖様は次のように諭されています。「神道は鏡一つにて立ち申し候」と。
古事記には
「此の鏡は専ら我魂として吾前を拝くが如斎き奉れ」
日本書紀には
「天照大御神手に宝の鏡を持ちたまいて天忍穂耳尊に授けて祝ぎて曰く、
吾が児、此の宝の鏡を視まさむこと當に吾を視るが如くすべし。
與に床を同じくし殿を共にして、斎鏡と為す可しと」とあります。
十種神寶の奥津鏡と邊津鏡の原理を神道禊教では学びの道として学びます。
我が姿、心を正直に写し出し、自分の周囲の様全てを鏡として内省します。
鏡を通して親、そして御祖の心をみつめ、崇祖の心を育てます。
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実践の道 陰徳の五要領
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神道禊教では、日々の暮らしの中に実践の道として「陰徳の五要領」を行います。
1.悔悟の心 2.捨身決定 3.勉強 4.倹約 5.報本反始 です。
常に始めに立ち帰り、そして本に報いることを学びます。
「今の栄えのもとは何か」に常に思いを向けて、
その本に報いて仕えることを大切にしています。
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素食少食の教え |
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ご教祖様は
「信心の始めは食にある」「人の運命の改善は食養生にある」と諭されています。
自らの命を保つ為には
他の命を頂戴しなければ保ち得ないことに思いを向けて、飽食を避け質素を旨とします。
ご教祖様の「我れ一飯を捧げて人の飢えを救うの心」は世界へ広がり、宗教界の世界的運動ともなっています。
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